Comparison is the thief of joy
こんにちは。うれたんです。
今やSNS時代です。
例にもれず僕もやっているわけですが、『毒』だな、と思うこともしばしば。
Comparison is the thief of joy. ― Theodore Loosevelt
直訳すれば「比較することは幸せを奪うことだ」ですが、結構現代の核心ついてるな、と思いました。
TwitterとかInstagramとか、今やいろいろなSNSがあります。
SNSは「Social Networking Service」の略であるのはご存じのところと思います。
コミュニケーションの場として、非常に良いものです。
いろんな人ともつながることができます。
いろいろな情報も入手することができます。
反面、情報が多く、自分と比較してしまって疲れてしまうこともあります。
探せばとんでもない美人はいるし、とんでもないお金持ちもいるし、とんでもない仕事をしている人もいるし、とんでもない幸せな人々が見つかります。
結局確固とした自分の軸を持つのが大事、とか言われたりします。
あながち間違いじゃないとは思います。オンリーワンを目指す。
でもこれって結局他人と比較してない?と思うこともあります。
SNSに限った話ではなく、比較することが毒だというのなら、
① そもそも毒を飲まない
② 解毒する
この二択なのでは?と思いました。
① そもそも毒を飲まない
比較をしない、ということは比較対象を除けばいいのだから……
A. 周りに人がいない環境にする
⇒ 人類以外の動植物と比較しちゃうカモ……
B. 周囲を”無”にする
⇒ 動植物だけじゃなく世界を”無”にしないといけないカモ……
C. そもそも生まれない
⇒ シレノスの知恵カモ……
無理なんだよなぁ……って感じです。
② 解毒する
生まれてこなければいかに良かったか、と思いながらも現実は厳しいのでこっちが妥当です。
A. 最強になる
⇒ 究極生命体を目指そう。でも俗世にいると比較されちゃう。
上には上がいるし、ベクトルの違う強ェ奴もいる。
カーズ様も宇宙には勝てなかった……
B. 気にしない
⇒ 結局これに落ち着いちゃう。
でも一度口に含んだ毒は体内から消えないから……
②-Bが妥当そう、とか思いながらも、そもそもこれができる人はこんな悩みを持っていないというジレンマ。
結局誰かと比較することが生き物にプログラムされているんだろうなと思います。
生存競争を勝ち残るためには必要です。
なかなか死なない現代ならではの現代病ということなんでしょう。
きっとこういうので気を病む人は淘汰されるべきなんでしょうから……
と言いながらそんなわけにもいかないので、手っ取り早いのは俗世とかかわりを絶ちましょう。
まずはSNSを絶つのはどうでしょう。
人間関係を一旦絶ってみて、きっと一度見た比較対象は頭に残り続けるから、それを忘れるまで俗世と距離を置きましょう。
それでも何かと比較してしまい、耐えられないならもう自分はそういう人間なんだと受け入れるしかないでしょう。
環境ではなく、生来そういった人間だということなので……