信号が人を左右する

とあるゲイの雑記です。何も遺せないので、せめて思ったことくらいは

とある雨の日

今日は雨が降っている。かなり激しい雨だ。

 


打ち付ける雨のパタパタという音。遠くには雷の落ちる音も聞こえた。
窓際に立ち、まるで雨に洗われているようなオフィスの窓から外を眺めた。
まず見上げてみた。普段は青空に映える高層ビルの上側は霞んでいた。
次に見下ろしてみた。色とりどりに開いた傘がゆらゆらとしながら駅の方向へ進んでいくのが見えた。

雨は好きじゃない。雨の中を歩くと濡れるから。濡れた服を着ているのはどうしようもなく不快だ。
そして頭が痛くなる。気圧の影響だろうか。頭痛は雨の前兆だ。
そしていろんなことを思い出す。何かが起こるときは決まって雨の日なのだから。
「暗雲が立ち込める」みたいな慣用表現があるけれど、全くその通りで、きっと世界のルールとして曇天や雨天のときはいいことが起こりづらいんだ、と僕は思っている。


昔、失恋をしたときも雨だった。

音楽のCDを借りる目的で、彼の家に定期的に泊まっていた。
彼はシューゲイザーが好きで、当時僕はあまりそのジャンルに興味がなかったけれど、彼のことは好きだったから、彼の好きなものも好きになろうとした。
僕は何をしたらいいのかわからなくて、必死だった。
おすすめのCDを借りて、帰って、聴いて、返却のために彼の家に行き、泊まる。そしてまた帰るときにCDを借りていた。
何とかつながりを保ちたかった。
はっきり言うなら、CDの貸し借りなんて彼といたいという欲を覆い隠すための便宜上の理由に過ぎないし、そしてそういう理由がなければ会ってはならないと思っていた。

あの日は、朝帰るとき、CDを貸してもらえなかった。
連綿と続いていた儀式だった。だから僕は何となく「終わったんだな」と感じた。けれど諦められなくて縋った。惨めだった。
はっきり「もう会わない」と言われたときは雨が降っていた。
傘なんか持ってきていなかったし、びしょびしょに濡れて帰った。
唯一良かったのは、僕の顔を流れる水滴が、雨なのか、涙なのか、きっと遠目からは判断できなかったことだ。


そういえば、彼氏と喧嘩したときも雨が降っていた。

細かい原因は覚えていないけれど、たしか些細な意見の食い違いだったと思う。
口論になったし、かなり雰囲気は悪かった。
不思議だった。なんでこんなことで争わなくてはいけないのか、そしてこの人はどうしてこんなに幼稚なのか。
そしてなぜ僕も譲らないのか。

口論の大部分は彼の車の中で行われた。
車内というのは諸刃の剣だ。密室で、距離が近い。極めてプライベートな空間だ。
関係性を深める側面がある一方、関係性が崩れたときは最悪だ。
そして僕らはまさにその最悪な状況だった。

「そこにある中華屋さんに入って」僕は言った。
「なんで」
「いいから」
僕は限界で、さっさと車を降りようと考えていた。バスか、最悪歩いて帰ろうと思っていた。
彼はむっとしたような雰囲気でハンドルを乱暴に切った。

駐車場へ入るときちょっとした衝撃があった。
あっ、擦ったな、と思った。
車から降りてタイヤを確認すると、案の定パンクしていた。

当然雰囲気は史上最悪だった。
僕がもう少し我慢して車を降りようとしなければこんなことには、と思ったり、そもそも喧嘩にならなければこんなことには、などと思ったりもした。

パンクしていたのは右のリヤタイヤで、最近では珍しくスペアタイヤが搭載されていた。
それに運よくFF車だったし、僕がスペアに交換することにした。
当時僕はレンタカー屋さんでアルバイトをしていたし、小さいころからタイヤ交換の手伝いをしてお小遣いを稼いでいた(一台500円、実家には6台の車があったので、合計3,000円になったのだ)。
そのため、特に忌避感はなかった。

作業を始めるとすぐ、雨が降り始めた。
ますます状況は悪くなった。
寒さや濡れるに任せるまま作業を行わなくてはならない状況で次第に僕も苛立ちが隠せなくなってきたし、彼も同様だった。

何とかスペアに交換し、僕は当初の目論見通りそこで彼と解散した。
彼は「乗れよ」と怒っていたが、無視した。

ずぶ濡れの恰好でバスに乗る気にもならず、徒歩2時間の道のりを歩いて帰った。

その後、結局彼とは1ヶ月強、連絡を取らなかった。


やはり雨の日にはいい思い出がない。
無理に捻りだそうとしなければ見当たらない。


あっ、ある、一つだけ。

まだ小さかった頃の雨の日。

僕は外で遊べず、実家の和室でたしか本を読んでいた。
外からは雨の音、そして蛙が鳴いていた。

僕は濡れないくらいに縁側に出て、外の池を眺めた。

いつもは明鏡止水で、静まりかえっている水面がその日は跳ねていた。
たくさんの波紋がぶつかって、楽しげだった。

眺めていると僕も楽しい気持ちになった。
蛙の声すら、楽しげに聴こえた。

そんな体験。小さな雨の日の体験。覚えている。

たしかそのときの様子をお絵描きの時間に描いたことも。


でもやっぱりそんなものだ。

ふと我に返り、窓の外を見ると雨脚が弱まっていた。

人々も傘をさしていない。

今がチャンスだ、早く帰ろう、と僕は帰り支度をするのであった。

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