信号が人を左右する

とあるゲイの雑記です。何も遺せないので、せめて思ったことくらいは

「しがらみ」について

逃れられない、ホモの桎梏。

僕は基本的にはこちらの世界は嫌いではないけど、面倒くさすぎるときがしばしばある。

 

なんか、いろいろ面倒なこと、たくさんあるでしょう?

気をつかうことも、たくさんあるでしょう?

 

デビューしたては別に良かった。

何も知らなくてただ楽しいだけ。

 

そのうち、いろいろ耳に入ってくるともう煩わしい。

聞きたくない話が。

波乱、起こりすぎ。

 

当事者になってしまうこともあれば、介入してしまって嫌な気持ちになることもあるでしょう?

 

派閥じゃないけど、グループやコミュニティができたりする。たぶん、自然と。

僕はもちろん人間って相容れないものと思っているし、さらに言うのなら、グループ内外でイザコザがあるのも当然。それはこっちの世界に限った話じゃない。

一番面倒で、ダメなのは色恋沙汰。論理<感情のケース、ごたつくよね。

 

だから「~所属でしょ」とか「~の子でしょ」とか言われたくなかった。

自分なりに基準をもって、どこにもいないように、特に20歳くらいのときはそう思われないように心がけた。

 

それでも逃れるのは困難なんだよね。

こっちの人と関わろうと思うと避けられない話題なのかもしれない。

 

「誰とつながってる」

「誰と誰がヤった」

「あそことあそこは元カレ」

「あそこはトラブってる」

 

すごく嫌だった。

何が、ってわけじゃないけど、希望とか期待が持てなかった。昔は。

 

あそことあそこと…って線引いていくと身動きが取れなくなったりして。

それで勝手に嫌になって、ホモの人と遊んだり会ったりすることはすごく少なくなって、ここ数年はほとんどリアルとかしていなかった。

 

でも結局、周りの目を気にしている自分がいて、面倒ごとが嫌いな自分もいて、自分が大切だからいろいろなことに立ち向かおうとせずに逃げているだけなんだと思ったりする。

 

これからだって、どこのグループにもコミュニティにも属したくない。

限りなく存在していたくない。

自分の名前を誰かの口から発してほしくない。

友達だとか、仲間だとか、思われたいわけじゃない。

 

「嫌いじゃない」と言ったけど、やっぱり嫌いなのかもしれない。

でもやっぱり誰かとつながっていたい、誰かと話したい、遊びたいとは思うんだよね。不思議と。きっとさみしいんだろう。

 

2年前、東京に越してきた。

もしかするとあの頃住んでいた街だけが特殊だったのかもしれないと思い、一念発起して、去年は通常の30倍の人と会った。今年も10倍くらいの人と会った。

まだ数人で遊ぶとかは抵抗感があるけれど、一対一なら会うのはいいかもしれない、楽しいかもしれないと思ったりもした。

けど、やっぱり面倒くさいなと思うこともあった。

場所にかかわらず、面倒なことはどこにでもあるようだ。

ホモの性なのか、人間の性なのか。

 

もう僕も28歳。

そろそろいい加減折り合いをつけないといけない。

うまく人と付き合う術を身につけなくてはならない。

いつまでも逃げてばかりはいられない。

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