「LGBT」に関する四方山話
こんにちは。うれたんです。
なんだか最近よく取り上げられるようになったLGBTという言葉ですが、僕が思うことを書いてみました。当事者だし。
ちなみにLはレズビアン、Bはバイセクシャル、Gはゲイ、Tはトランスジェンダーの略だそうです。
当事者の意識
僕もゲイなので当事者の区分に入りますし、ちょっと考えてみました。
結果、「当事者といえど、自分がLGBTだという意識は絶対のものではない」のではないかと思いました。
ちなみに、それは自分のセクシャリティがわからないだとか、気付いてないとかではありません。
それを知っている上で、LGBTというものに意識的に加入しているかどうかという話です。
そもそも僕はセクを認識していなければ当事者になり得ないというスタンスです(要するに「ノンケのころ」とかいう言葉を許容するスタンスです)。
例えば、LGBTの人が何か利益を受けられるとしましょう。その時点で僕ならすぐに飛びつくでしょうか。否ですね。
まず僕なら「匿名性」を確認します。
匿名でその利益を享受できるなら、まあいただけるものはいただくでしょう。
ですが、もし実名公開!!とかいう話になればこれは別です。無理です。話になりません。
文脈によって変わる立ち位置
LGBTと呼ばれる人々は文脈によって華麗に立ち位置を変えます。絶対的に"LGBT"としての立場を貫く人は少ないのではないでしょうか。
例えば夜は飲み屋さんで騒いでいるけど、昼間はただの真面目なサラリーマンなんて人、たくさんいます。女優ですよね。
LGBTであることが正当化(正当なのはある意味当たり前なんですが)されるような場所や状況下でしか、現状LGBTの人々はLGBTではないのかなと思うわけです。
まあ、それが正当化されるような状況下ではLGBTになることができるっていうのもなかなか変な話です。いびつに感じます。
LGBTという言葉はあくまで分類であるとは思うんですが、現時点で僕はこの分類があんまりうまくいってないんじゃないかなとか思ったりするわけです。
ゲイならゲイだ!という一貫性が持てないのはやっぱおかしいなと思うんです。あっちではゲイ、こっちではノンケ、やっぱりおかしいじゃないですか(僕は前述の通り「ノンケのころ」は許容できますが、「普段ノンケ生活してます」は許容できません。だって変だもの)。
今後について
まあ上のような感じで考えてはみましたが、いきなり「お前はゲイなんだから常に一貫性を持ってゲイとして生きろ」なんて言われてもそりゃ土台無理な話です。
何でこんな歪みがあるんだろう、と考えるとやっぱり社会を生きる上で邪魔になるんだろうなあと思います。
LGBTというだけで偏見にあってきた過去とか、そういった話を聞いたりとか、もうそれだけでお先真っ暗!みたいな気持ちになることもわかります。
そんなオープンでいるだけで辛くなってしまうならもちろん女優にもなりますよね。僕もそうです。女優です。
じゃあ、歪みを正すにはまず社会を変える必要があるのか、と考えると、そうとも言えるしそうじゃないとも言えます。
そもそも正しい認知のためには当事者による活動が必要になると私は考えていて、その時点で「社会変わる⇒カムア!」の図式が崩れ去ります。ジレンマです。誰かが矢面に立つ必要が出てきます。
僕なんかはそんなリスクを背負うことはできないので、誰かに委託することになってしまいますが、なんかそれも変だよなと思ったりもします。
現時点で、社会が変わってきているような気はしています。多分これは僕の知らない別の人が矢面に立って頑張ってくれたおかげなんでしょう。
さんざん「変だ!いびつだ!歪んでる!」なんて言ってはきたんですが、最終的な結論として、誰かのおかげで歪みは現状正しくなってきているため、僕なんかのようなレイトマジョリティは機が熟すのを待ってた方がいいのかなとか思ったりもします。
そういう時代は何年後に来るのか、楽しみです。